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乳がんサバイバーのセラピスト

1964年生まれ。
今年の誕生日に、あと数年で60歳になることに気づいた、おばちゃんです。

私、清水まさ美は、日本一の米どころ、新潟県長岡市に生まれて、高校卒業後、東京に上京しました。
プログラマー・不動産関連・ベンチャー企業・法律事務所からオミズまで、幅広く勤務。
私生活では、同僚のシステムエンジニアと結婚をしましたが、夫のギャンブル、私が友達に誘われて始めたディスコのアルバイトが楽しくなり、一緒にいる時間が少なくなり離婚。

そして、ディスコのお客様で一番大っ嫌いなダクト屋の夫と再婚し、姑と同居。
人生って、わからないものですね

生きていく気力がない

「姑問題なんて、私には関係ない」と高をくくっていた、再婚前の私。

暮らし始めたら、寺内貫太郎ばりの夫、一卵性親子の「ちゃっかり」姑との暮らしが要因かどうかは分かりませんが、2015年6月乳がん発見。

再婚してから乳がんと分かるまで、VS夫、VS姑・・・・ととにかく、いろんなものと戦っていました。

近所では、同棲をしているような視線でみられながら、ちゃんとした嫁にならなければならない葛藤、夫の協力を得られない不妊治療。

家の改革を提案すれば、必ず、2対1となり(もちろん私が1)。親子二人で建てた家に住み移り、30年近く親子ふたりで暮らしているところに、途中から嫁いだ人間が何を言ってるのかと圧をかけられ、結局、なにもかわらず、いままで通り。自分の意見が通らず、モヤモヤ状態で戦っていて、生きていく気力がありませんでした。

手術をせず、死ぬつもりでしたが、実母より「自分より先に死んでほしくない」言われ、しかたなく手術を受け、入院中は見舞いに来てほしくないと姑に言うほど嫌悪状態でした。

2015年6月乳がんだとわかりました。

再婚してから乳がんと分かるまで、VS夫、VS姑・・・・ととにかく、いろんなものと戦い、生きていく気力がなかった私。

手術をせず、死ぬつもりでしたが、実母より「自分より先に死んでほしくない」言われ、しかたなく手術を受けた状態でした。

生きていく意味は分からないけど

術後も、1週間モヤモヤしていましたね。

そんな時、何気なくルー大柴さんが対談していた病院誌を手にしました。

いまではこそ「MOTTAINAI」は広がっていますが、当時はそれほど物を大切にする意識は薄く、そのことについて、ルー大柴さんが「もったいないでしょ?」とおっしゃっていたのです。

当時、50歳を過ぎていた私。

死んでもいいと思うようないろんなことがありましたが、50年をゼロにするのは、もったいないと感じたのです。

80歳まで生きればもうけもの。

その年齢まで、あと30年。

生きてきた年月より、短い。

だったら、30年生きようと思ったのです。

<<<つづく>>>

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